清水寺(せいすいじ)・ご祈祷・ご供養・ペット葬儀・東京近郊・千葉・市川・船橋・日蓮宗

清水寺について

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清水寺は千葉県市川市中山にある大本山中山法華経寺第56世貫首眞如院日等聖人が開山された四百余年の歴史がある日蓮宗のお寺でございます。
法華経寺に龍王池があり、その池から当山まで小川が流れていて、小池が当山にありました。
その小池の水が美しいことから清水坊と名称され、法華経寺を参拝するときの宿坊として隆昌しておりました。時代の流れとともに小川はなくなり小池もなくなり、宿坊としての役割もなくなりましたが、お寺にお越しの方々へおもてなしの精神と気持ちよくお帰りいただけるような心遣いをモットーにお寺の運営をさせていただいております。
多くの方々にお越しいただいて、お役に立てれば光栄でございます。

中山と日蓮大聖人との歴史

中山法華経寺の基をつくられた初祖富木常忍はもと因幡国(鳥取県)富城郷の出身で、父である蓮忍の時に、関東に移住してきました。そして常忍は下総国八幡庄若宮戸(市川市若宮)に館を構え、下総の守護千葉介頼胤に仕えました。当時府中(国府台)に置かれた守護所に通い、鎌倉幕府からの通達を受けたり、下総国内で起こる諸事を頼胤の決裁を受けて処理する事務官僚で、特に千葉介頼胤の執事的立場にありました。

建長6年(1254)に下総の地を布教していた日蓮大聖人は鎌倉に向かうため、二子ノ浦(船橋市二子)で便船を求めていた折、丁度参勤で鎌倉に向かう富木常忍と同船することになり、そこで問答となり、意気投合し、大聖人の信者となったといわれています。(諸説あり)

文応元年(1260)、鎌倉の松葉ケ谷の御草庵で焼け討に遇った大聖人は富木常忍を頼って若宮へ難を逃れられました。このとき大聖人は鎮守若宮八幡の拝殿で百日間説法をしましたが、この説法で大聖人に帰依する者が多く現れました。そこで常忍は法華経信仰の記念として館の中に法華堂を建立して大聖人に献じました。

このとき大聖人は自ら釈迦如来の立像を彫って法華堂に安置し、妙蓮山法華寺と号して開堂入仏の式を挙げたと言われています。これが法華経寺の起源となるもので、現在の奥之院になります。大聖人は常忍に絶大な信頼をよせていて、様々な手紙を出されたり、教学的に宗門的に重要な書物を送られています。その書物や手紙類が聖教殿に現在も恪護されていて、歴史的にも大変重要な役割を担っております。

弘安5年(1282)10月13日、大聖人がご入滅すると、常忍は出家して法名を日常と号しました。そして正安元年(1299)日常は死に臨んで、自分が治めた法華寺を地元の豪族の太田乗明の子日高に譲りました。また、大聖人の書物や手紙など一切を寺から外に出さぬよう末永く保存することを書き残して、3月20日84歳で遷化されました。後継者の二祖日高上人は幼少のころから大聖人の弟子として修行に励み、大聖人のそばで給仕をされていました。

日高上人は中山にある父乗明の館跡に本妙寺を建立し、ここに住みながら法華寺の住職も兼ねました。いわゆる法華・本妙両山一主制をとられました。この両寺が一寺となり法華経寺となりました。

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